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ハードボイルドワンダーランド

 投稿者:10  投稿日:2008年 8月18日(月)20時51分48秒
  七泊八日で四国を一周してきた。メンバーは前回の九州の時と同じ、伊佐氏、西村氏、僕の三人である。結論からいうと、この旅は相当おもしろかった。もう二度とこんなに楽しい八日間はやってこないだろうという気さえするぐらいだ。そしてこんなに長い八日間ももう二度とやってこないだろう。どうしてこんなに一日が長く感じるんだろうと考えてみた。家でぼうっと過ごしたり、学校へいってバイトへいったりなんかしていると一日がもの凄く早い。昔、ちっちゃい頃は一日が凄く長かった。夏休みなんて永久に続く気がしたくらいだ。多分それは大きくなるにつれて考えることが多くなったからだ。昔は無知だったから一日にいくつも新発見することがあった。けれど最近の日常で純粋に感動することなんかほとんどない。家でテレビなんか見ていて感動したりすることももちろんある。けれどそれはあくまでもブラウン管を通してみた風景だ。テレビの景色には風の匂いも汗もない。本当の景色というのはそこに行き着くまでの過程を包括していなければならない。今回の旅でそのことを痛感した。山には山の匂いがあり、川には川の匂いがあり、海には海の匂いがあった。しっかりとした匂いだった。もちろん九州一周も今回に負けないぐらいおもしろかったわけだが、あの旅はちょっとハード過ぎた。なんせ五泊で九州全土を廻ろうとする企画だったからハードにならないわけがなかった。あの時は総走行距離1660キロで、一日平均330キロくらいは走ったことになる。四国を廻って改めて九州のでかさを痛感した。
今回は八日をかけて総走行距離は1200ちょっとくらいのものだ。それでも炎天下や大雨の中目一杯走った方だ。九州の場合、九州に到着するだけでかなり大変だったが、今回はフェリーで渡ったからその分だけでもかなり変わってくると思う。しかし四国は一番の真夏日の中走ったわけだから特別な苦しみがあったことは確かだ。でも日にちがあるだけ自分達のいきたいと思った場所はほぼ行き着くすことができた。トラブルもたくさんあった。テントを落としたり、大雨に打たれたり、僕が山道でこけたり、単車二台ともケツから当てられたり、太陽にあたり過ぎて肌がただれたり。七泊のうち三泊がテント、一泊が漫画喫茶、そしてもう三泊は友達二人の田舎の家へ泊めてもらった。多分全部キャンプをしてあの小さくて風通しの悪いテントで三人丸まって寝ていたら今ごろは灰になって太平洋へ消えていると思う。長くなると思うけれど八日間の全部を書いてみようと思う。

8月の8日の土曜日の朝に集まり神戸から出ている高松行きのフェリーを目指して出発した。日にちが伸びた分、前回よりも荷物が多くなったわけだけど、思ったよりいい感じに荷物は収まった。僕がケツに荷物を載せ、伊佐氏がケツに西村氏を乗せた。なんの問題もなく快調に走りだし40分程で神戸についた。フェリーに乗り込み三時間半程かけて高松へ向かう。フェリーで遊んでいたら一瞬にして高松へ到着し、真っ直ぐにうどんを食いにいった。香川ではとりあえず思い切りうどんを食った。そして松山へ向かう海岸沿いの道を走り出した。途中四国から本土が見えたりした。松山と高松のちょうど真ん中くらいにある新居浜のキャンプ場でテントを張った。途中の銭湯で汗を流し、コンビニでおにぎりとビールとニッカの小瓶を買った。新居浜のキャンプ場は綺麗に整備されていたし、近くにビーチもあった。おまけにテント一張り五百円という格安だった。遅くまで若者が花火をしていた。でも浜辺のキャンプ場だけあってすごく暑かった。テントは思っていたより安い造りで、風も通さず、中で三人で眠るのは不可能に近かった。西村氏はすぐに眠りについたけれど、僕と伊佐氏は暑くて全く寝れそうになかった。ビールとウイスキーを飲んだけれど、伊佐氏を後ろに乗せてコンビニまで線香花火を買いにいった。風が凄く気持ちよかった。西村氏がシートの上で寝ていたので、頭のすぐ横で煙り玉に火を付けてやった。導火線の火が顔に直撃し凄く熱そうだった。西村氏は「死ね」と言ってすぐに眠りについた。おもしろかった。結局60本の線香花火をやっている間にいつのまにか眠りについていた。でも太陽が昇ると暑くてとても寝ていられる状況じゃなかった。

二日目はとりあえず松山を目指した。前回九州へ向かう途中でも通ったけれど、
あの時は素通りしただけだったので、今回は昼からかの有名な道後温泉に入りにった。本館は歴史を感じる造りでずっしり構えられていたけど、クーラーもないから風呂上がりは風呂に入る前より汗をかいていた。次の日に愛媛の最南部の御荘までいく予定だったから、ちょうど愛媛の真ん中くらいの銚子ダムの近くにあるキャンプ場でテントを張ることに決めた。キャンプ場までの山道は結構細くて、夜走ると薄気味悪かった。キャンプ場とは名ばかりで誰も管理していないし、もちろんお金もかからない。やたらとトンボが多いところだった。地元のボーイスカウトと思われる団体がテントを張っていた。テントを張ってから再び山を下り、温泉に入りにいった。キャンプ場付近はまるで何もないので、スーパーで飲み物と食べ物を買いキャンプ場へ戻ると、僕らのテントのすぐ近くでボーイスカウトの団体が盛大にキャンプファイアを囲い、歌って踊っていた。キャンプファイアの火が消され、辺りが闇に包まれると、空に一面の星空が広がった。あんなに空一杯に広がる星空は初めてかもしれない。流れ星がいくつも流れていた。初日とは対照的に、山の中だけあって夜は相当に冷え込んだ。半袖しか持ってきていなかったのでバスタオルにくるまって眠りについた。朝は6時に目が覚めたので、一人で一時間程散歩をした。冷え込んでいたので太陽の光がとても気持ちが良く、目の前にはFFの世界でしかみたことがないような山の景色が広がっていた。8時くらいに銚子ダムを出て西村氏の田舎の御荘へ向かった。山には相変わらずトンボが飛びかっていて顔に何匹もぶつかってきた。途中小猿の死骸があった。大洲で朝マックり、宇和島のジョイ
フルで昼飯を食った。宇和島に足湯があったので立ち寄ってかき氷を食った。御荘に着いたとき三時過ぎだった。西村氏のおじいちゃん、おばあちゃん、そして従妹のまいちゃんが歓迎してくれた。新築の家は凄く綺麗で、気持ちがいい桧の匂いがした。食卓には、見たこともないような海のご馳走が並べられ、死ぬ程飯を食って、死ぬ程ビールを飲んだ。

朝出発するとほぼ同時に雨が降ってきた。それも肌を刺すような激しい振り方だった。一瞬にして僕らはずぶ濡れになり、立ち往生していると車の整備士のおじさんが雨宿りしていけといってくれたので、雨が小降りになるまで少し待つことにした。小降りになった頃を見計らってカッパを買いにいった。本当なら足摺岬へ立ち寄って四万十川でキャンプをする予定だったけど、止みそうにもない本格的な雨の日になりそうだったので両方ともあきらめて高知の漫画喫茶に泊まることに決めた。でもせっかくなので四万十川に立ち寄ることに決め、上流へ向かった。けれど雨はますます本格化し、わけがわからないくらい降り続いていた。その日はとにかくカッパを着ると雨が止み、暑くて脱ぐと雨が降るという呪いの日だった。やっぱり朝蜘蛛を殺したのが原因だったのだろうか。とにかく高知の土佐にある吉野家で飯を食い、ぽかぽか温泉に入った。ぽかぽか温泉は今年できたばかりのように綺麗で、客は少なかったし、思ったより相当ぽかぽかできて結局五時間くらいいた。十二時にネカフェに入り三時半に眠りについて九時前に目覚めた。

五日目の朝は気持ち良く晴れていた。朝食はこの日も朝マックり(軽食が簡単に取れる店はほとんどないため)室戸岬を目標として進み出した。四万十川でキャンプをしなかった分、進行が思ったより早かったのでゆずで有名な馬路村に立ち寄ることにした。川の流れに沿って山道をずっと深くいったところに馬路村はひっそりと点在している。この山道はとにかく最高だった。山の緑が凄く鮮やかでより一層空気が澄み切っているように感じた。川(ん?なんつー川やったけ?)も限りなく透明で、流れる川の音が涼しげだった。馬路村に到着すると、ゆずのジュースを飲んで川で三時間程遊んだ。深いところは2メートル以上あるところもあり、流れもきつかったので何回か溺れそうになった。ゴーグルで水中をみるとたくさんの大きな鮎がいた。川の水は凄く冷たくて長い間入っていると、寒くて身体が震えた。とにかく最高に気持ち良かった。けれどこの辺りにはキングデビル(蜂ぽい虫)がいて身体にやたらと止まってくるのでかなり恐かった。さすがに三時間も遊ぶと身体もぐったりして温泉に入る気力もなくなった。かなり眠たくなっていたので今晩泊まるキャンプ場へ早く向かいたかった。馬路村を更に奥深く進んだところに怪しげな集落がある。そこにあるのがこの日泊まったキャンプ場。道中に狸の死骸も落ちていたし、なんとなく金田一の事件簿にでも出てきそうな雰囲気の村だった。キャンプ場は少々値が張ったけれど(それでも安い)芝生も軟らかく、目の前には湖が広がり、周囲は一面山だった。この日の晩飯はリンゴと缶詰めだけだった。さすがにこんな山奥になると売店もほとんどなかった。近くの村までビールを買いにいった。村はひっそりと静かで家はあるのに人はほとんど見当たらなかった。キャンプ場に戻ると雨が少しぱらついてきた。周りを見渡すとみんな立派なテントとルーフを持っていてキャンピングカーできている集団もあった。一方僕らは同じ広めの敷地にこじんまりと僕らのテントを張った。周りに立派なテントがあると、僕らのテントは申し訳なさそうにいつもより背中を丸めていた。僕は焼き肉の匂いを嗅ぎながらゆっくりとビールを飲んだ。匂いだけで十分アテになったというと悲し過ぎるのでやめておこう。流れゆく黒い雲が僕らの頭上に降り掛かると雨が降り、雲が通り過ぎると雨は止んだ。当然のことだが、ここまで断続的に雨が降ってくると空を見上げないわけにはいかなかった。どういうわけか月の周囲だけぽっかりと空が開いていて、雲が月を避けているようだった。明け方頃信じられないくらい激しい雨が降った。雨以上に雷が凄くて、隣のテントに落ちたんじゃないかと思ったくらいだった。

朝になるとまるで昨日の嵐が嘘のように、空は晴れ渡っていて、日が昇りきってしまう前に僕らは馬路村を後にした。いつまでも意識の片隅に座りそうな印象的な村だった。山道はまだ乾ききっていない部分があり路面は濡れていた。橋の手前のカーブを曲がろうとしたら前輪がずるりと滑り、僕はこけてしまった。原因は簡単だ。路面は濡れていたし、砂利が落ちていたし、僕は煙草を片手に右手一本で走行していた。こける瞬間いろんなことが頭をよぎったが、結局はこけるしかなかった。僕はこの旅の間ずっと、Tシャツにジャージ、それからサンダルという極めてラフな格好をしていたので、身体のあちこちに擦り傷を負った。でもそれ以上にバイクがぼこぼこになった。ボディは至るところが擦り切れて、ミラーはどうしようもないくらい歪んでしまった。立ち往生していると、通り過がった車が止まってくれて、消毒してバンソウコウをくれた。わざわざ戻ってきてくれたおじさんもいて、足りなかったバンソウコウと飴をくれた。身体は痛かったけれど、改めてバイクの危険性を痛感できて良かった。濡れた山道を80キロで走ったりしていたので、下手をしたら本当に死んでいたかもしれない。山を下って再び海岸沿いの国道に出て、四国最南室戸岬を目指した。室戸岬の風景は圧巻だった。切り立った岩を登っていくと海が視界一杯まで広がり、遠くの方に広がる薄い雲が海と空の境界をわかりにくくしていた。太平洋はその名の通り穏やかで深い青を湛えていた。岬には中岡慎太郎の大きな銅像があったけれど、特別興味を引かれなかったのでそのまま通り過ぎた。室戸岬から徳島市までは途中の何回かの休憩を除いてはほとんどぶっ通
しで走り続けた。徳島市に入ったすぐくらいに、僕らが信号待ちをしていると後ろから高齢者マークを張った白い軽自動車が突っ込んできた。二台両方突っ込まれて伊佐氏はバランスを崩して単車は倒れてしまった。伊佐氏はすぐに乗っていたおっさん(谷本さん)に道路の脇につけるよう指示し、免許証の写真を携帯で撮った。単車には幾つか傷がいっていたけれど、結局おっさんには何も要求しなかった。でもそれからその日の宿に着くまではずっと谷本のおっさんの文句を言い続けていた。また途中で激しく雨が降り始め、雨で傷口が痛み始めた。なのでさらに谷本のおっさんへの怒りは強まった。この日は伊佐氏の田舎へお邪魔させてもらった。着くと同時にシャワーを浴び、ご馳走を食べさせてもらった。死ぬほど飯を食った後、キン肉マンとドラゴンボールを見て、それから星野ジャパンの醜態を見ている間に自然と眠りについていた。

朝ご飯を食べさせてもらうと、徳島の山中へ向けて走り出した。この日は予定よりも1日早くたどり着いた分、ゆっくりと徳島を見てまわることができた。徳島三大名滝の一つ、雨乞いの滝を見に行った。バイクを停めて極めて急な山道を三百メートル程登った。かなりハードだった。途中いくつも小さな滝があったけれどやっぱり雨乞いの滝が凄かった。昔この地方では日照りが続くと、この滝へ雨乞いの祈りを行ったそうだ。雨乞いの滝の横に鉄の鎖がついていて、滝の上まで登れるようになってある。しかしほとんど90度に近い危険な岩肌であるため、誰も登ろうとはしてなかった。フロンティアになろうと果敢に登り切ると、既に小柄な女性が偉業を成し遂げていた。更にスーパーボーイも登ってきて偉業でもなんでもなくなってしまった。それでも降りるときもやっぱり命懸けだった。山を歩いて降りるとサンダルで擦れて足の裏の皮が剥がれていた。その後はロッキー山脈、チロル山脈に次ぐ、世界でも希少的な地形で有名であり、国の天然記念物にも指定されているという土柱を見に行った。途中吉野川の水面が太陽光を反射させて綺麗だった。土柱はせっかく遥々見にきた割りにはどうでも良い地形だった。ただ土柱パラダイスで食ったカツ丼はなかなかうまかった。夕方からは阿波おどりを見に行くつもりだったので一度伊佐氏の田舎宅へ帰った。すると伊佐氏の叔父さんのヒロシが車で阿波おどり会場まで連れていってくれるという。禿げてはいるが安全運転だったし良い叔父さんだった。阿波おどりは僕が想像していたよりずっと規模が大きく、ずっと
魅力的なものだった。町全体で盛り上げていこうという雰囲気が全面に出ていた。地元のヤンキーやらギャルやらもたくさんいた。ギャル男はいなかった。同志社や立命館などの団体も阿波おどりに参加していて、僕と西村氏は阪大と神大に混ざって踊った。至るところで日本酒を一気飲みしていて、僕らも飲むように勧められたので、かなり盛り上げてくれている中かなりの量を一気飲みしてしまった。後で聞くと西村氏は口をつけていただけで本気飲みはしていなかったといっていた。結局その日は酔っ払った状態で眠りについた。でも来年もまたいきたいと思うくらい楽しい祭りだった。

この日で八日目最終日、高松へ向けて走りだした。走っているといろんなことが頭を過った。そしてこの旅ももう終わりなんだと考えると少し悲しくなった。高松で始まり高松で終わるということで、うどんで始まりうどんで締めることとなった。フェリーまでに三時間もあるので、自由行動というわけで伊佐氏は一人でどこかへ出かけ、西村氏は眠り、僕はこの日記を書き始めた。結局この後フェリーは無事三宮に到着し僕らは帰路につくこととなる。

本当は東北を中心とした東日本へのバイク旅を予定していたのだけれど、日数が足りないということで四国へ変更した。でも四国は僕が考えているよりずっと魅力的で、この旅は僕が考えていたよりずっとずっとハードボイルドなものとなった。九州は他県同士が牽制し合うことによって、それだけに一県一県が個性豊かなものになっているのに対して、四国では県の境目があまり感じられないくらい『四国』という島国として統合している印象を受けた。もちろん違う道を走ると見る風景も変わる。けれど四国では違う景色をみても「やっぱりこれも四国なんだ」と変に納得してしまう何かがある。不思議なんだけど。同じ風景をみてもあまり年を重ねてしまうと余計なファクターがくっついて純粋に感動できなくなってしまう。考えると嫌なもんだけどそういうものなんだと思う。若いうちにしか絶対にできない経験というものがあるのなら僕はそれをやってみたいと思う。よく言うことだけれど、できるかできないかじゃなくてやるかやらないかだと思う。そして僕はやりたいと思う。
 
 

(無題)

 投稿者:10  投稿日:2008年 7月 6日(日)14時41分44秒
  キンシャサノキセキからキングストイレルを馬単二千でつっこみました  

九州奇行記その3

 投稿者:10番  投稿日:2008年 5月12日(月)19時24分10秒
  今回の旅では兵庫、岡山、広島、愛媛、大分、宮崎、鹿児島、熊本、長崎、佐賀、福岡、そして大阪と実に12県に渡る大がかりなものとなった。一生に二度と短時間でこれほどの距離を自分の足で移動することはないと思う。単車という足を使うことは車で交替しながら進むこととわけが違う。気候を肌身で体感しながら、風を感じ、海を感じ、花粉を浴び、その土地土地の風土を存分に感じれることができるのはミニバイクならではだと僕は思う。確かに過酷な旅ではあったが得るものは大きかった。西日本をとりあえず山口と四国の何県かを除いては制圧することができたし、地理にも結構詳しくなれたと思う。日本であんな美しい景色をみれると思わなかったし、これから世界のさまざまな景色をみていこうという意識もいっそう強固なものとなった。クソみたいなバイトをして、クソみたいに大学を出て、クソの上で手を擦り合わせる蝿のように毎日同じ電車にのり、同じ職場で生涯を過ごすという危惧に縛られるには僕はまだまだ世の中を知らさすぎる。ブラウン官を通してみる二次元の世界や人から聞いた話だとだめだ。実際にいき、そこで得た知識だけが本当に自分を大きくしていると信じている。まぁ九州にいったくらいでこんなことをゆうのもなんだが、僕は世界をもっとよく見て周りたい。やってみないとわからないということを信じているからだ。
なんてね。
あーしんどかったー。
次はどこにいこかなぁ!
 

九州奇行記その2

 投稿者:10番  投稿日:2008年 5月12日(月)19時22分51秒
  やられたー!笑
よーく店内みたらアヤカちゃんの顔をちょっとだけ変えたみたいな店員が何人かおるやん。よーく見たらあのババア、変な動きしてるやん。やっぱカフェアンドビストロのビストロの不自然さで気付いとくべきやったぁ!そして『とりてん』 定食が続々と運ばれる。しかし、何かがおかしい。とりてん定食が五人くらいの店員によって運ばれる。そして気付いたら囲まれてる。笑
西村氏のごはんなんかムッチャ適当に乱雑に置かれる。まあいい、食おう。ゆーて食い始める。おっ!?とりてん、うまいやん!?意外に。でもなんか食いづらいなぁ。なんでやろー食いづらいなぁ。思てたら奥で4、5人の店員がガン見してる。「笑ったらあかん、笑ったらあかん」思って太ももをつねり続ける。ここはご飯は食べ放題らしいがお腹はなぜかもういっぱいである。「料理はどう?」「あ、凄くうまいす」「ご飯おかわり入れますよ?」「お願いします」断れない雰囲気のため食いたくもない2杯目が運ばれる。心なしか一杯目よか多い気がする。だって断ったら料理まずいと思ってると思われるやん?俺そーゆーとこに神経まわす人やから、と思い食い始めるがきつかった。残すんだけはあかん、残すんだけはあかん、と自分に鞭を打ちつづけなんとかクリア。カフェアンドビストロ・アンジュール………とてつもないお店だった。チェーン店にしたら流行るだろなぁ。そしてお腹も満腹になったことやし桜島もとい鹿児島へいざ出発。宮崎のフェニックスロードも実に気持ち良かった。間違いなく宮崎の景色が九州内では一際よかった。青い空と南国を思わせる樹木のコラボ。見事でした。そしてまた続く山道。とりあえず九州のトンネルは暗い!対向車がハイライトやったりしたらマジ視界がなくなる。風もMAXやからふらふらするし。極めて寒いトンネルと極めて暖かいトンネルが混在するし。しかしながら宮崎の山道はよかった。山は山でも一際違った。あんなに美しく拡がる山の景色は圧巻だった。ドラクエ5のグランバニアまでの山道を進んでいるようだった。景色にも飽き、永遠続くカーブにもうんざりし、全身疲労と戦いながら進み続けた。この辺から桜島までが一番ガムシャラに走り続けた感がある。とにかくシャニムに走り続けた。二時間に一回くらいの小休憩を挟む以外はとにかく走り続けた。てゆうか走るしかなかった。だってこんなとこまわりなんもないもん。ずっとおるわけにはいかない。そして西村氏が後ろで叫ぶ。「あれ、桜島ちゃん?」眼を向けると遠くにそびえる桜島の姿が。煙を吹きあげ、凜とそびえるその姿は神々しさをかもし出してさえいた。吹き抜けた景色は遠くそびえる桜島までさえぎるもの何一つなく(ちょっとはあったな)、鹿児島市内へ向かうまでの間、向きをかえ、大きさを変え僕らを温かく見守ってくれた。これにはかなり励まされた。鹿児島駅周辺でとりあえず温泉を捜す。温泉はなさそうやから銭湯を捜す。背に腹はかえられない。そして銭湯を見つけ入る。(この銭湯については書かないよ!とりあえずおわっていた)飯を食おう、ということで駅周辺をぶらつく。さすがは鹿児島…九州へ上陸して初めてみた都会の雰囲気を若干かもしだしていた。とりあえず建物のレストラン街を歩いてみる。………高い!とても俺たちの偏差値でははいれるお店はなかった。「あかん、いこう」と下へ向かうエスカレーターへ向かうが三人ともトンカツ屋の前で立ち止まる。……なんやしらんけどごっつ旨そうや。あかん、でもごっつ高い!!すると伊佐氏が財布の中身を調べ始める。そして「いこう!入ろう」と叫ぶ。「でも、でも僕らじゃとても闘えないよ…強すぎる」と僕達。「おごるよ、僕が全部出す。だから入ろう、もう悲しまなくていいんだ」と伊佐っち。「伊佐っち…気持ちだけ受け取っておくよ。入ろう、みんなでカツを食おう」気合い重々にして店内へ。そこへスッと店員がきて「あのもう閉店なんですけど」…………………………………………………………………僕らの勇気をふみにじりやがって。てか十時閉店早すぎやん。ここの店だけじゃなく、飲み屋以外はほとんど閉まっていく雰囲気だった。「二度と鹿児島くるかボケー」って伊佐氏はいっていた。そしてラーメン屋に入るも伊佐氏は口が合わずほとんど残す。そして自由空間を本日の宿舎に決める。ここでは僕は一人でビリヤードをしてオナニーもしてしまった。別にみたくもない女優だったけど、いちいち変えるんもめんどかったのでお世話になった。いまいちうまくいかなかった。カラオケルーム的な大部屋を貸し切って寝たわけだがここでおもしろいことがあった。西村氏がミスチルのエニーを入れようとするがなかなか入らない。すると隣の個室からエニーが聞こえてきた。隣には女の子二人がいたわけだが、わけもわからずエニーを歌っていた。あまり歌えていなかった。おもしろかったのでそのあと試しに僕が長淵を入れてみるとうまくいかなかった。音量を消されていたのかもしれない。笑
この日はそこそこよく眠り予定通り桜島へ。単車は停めてフェリーに乗り込む。歩いていけるかと思ったら桜島は遠かった…やっぱ近づいたらでかいんやな。というわけで写真撮影だけして次の目的地へ。僕らの強行スケジュールには悠長にしている時間なんてなかった。今日は熊本フェリーに乗って長崎までいかなければならない。フェリーが六時半くらいに出るから時間がない。そこで南端鹿児島から熊本中間部までぶっ飛ばす。途中の海沿いの道があまりにも綺麗であったので立ち寄る。浜辺はちっちゃな蟹でいっぱいだった。恐ろしいくらいに水色で美しい海だ。まじで沖縄とかより綺麗だと思う。足だけ入ったが凄く気持ち良かった。入って魚ちゃん(ファイニングニモちゃんみたいな)と戯れたかった。海を後にし走り続ける。時間が…時間がない。飛ばす飛ばす。しかし7時くらいにもう一本フェリーが出ていて助かる。ここの土産物の試食コーナーで腹を満たし出航。九州も4県目、長崎に到着する。温泉が有名なとこだったけど地名を忘れた。とにかくスーパーでパンを食って腹を満たし温泉を捜す。上○温泉だったけどなんだったか忘れた。ここの温泉が実に素晴らしかった。時間も遅くもう掃除を初めていたのなわざわざ空けてくれた。もちろん客は僕らだけだった。旅館の高校生のバイトの女の子もかなり可愛くて、西村氏の今回の旅で印象に残ったランキングの一位、ヒットパレードの記録を破り、堂々の一位を飾った。ちなみに僕の一位は熊本の海、二位は宮崎の山、三位は大分のガストの店員コウジである。そして温泉でかなり温かく見送られ(恥ずかしいくらい温かく見送られた。笑)湯冷め覚悟で長崎の南から一気に北の佐世保に向かう。しかしこれが大ダメージに。湯冷めとか関係無しの極度の寒さ。震える震える。しかしこんな寒い中70キロくらいに渡ってわけのわからん人々が歩いていた。きいたところによるとなんでも歩く大会らしい。笑さすがは長崎。わけのわからんことやってるわ。しかし強烈な距離を歩くもんだなーと今でも感心する。佐世保に着いたころは僕らのヒットポイントはほとんど残っていなかった。しかしここからが苦しかった。マンが喫茶、カラオケが少ない上に満席であったりする。何件も店を往復するがなかなか条件に合う店が見つからない。最後に辿り着いた怪しいマンが喫茶は非常によかった。やはり神はいるんだ、と思った。この日はさすがに何もやる気が起こらずマッサージちぇあーで爆睡。文字通り死んだように眠った。目覚めたのは最終日、もう五日目である。早い、早すぎる。しかし長かった。この時点で1300キロは悠に走っていた。強烈な距離だ。しかし僕らの旅はまだまだおわっていない。まずせっかく佐世保にきたのだから佐世保バーガーを食わないことには始まらない。というわけでバーガーを食いにいく。店に着くと行列がすでにできていた。40分待ち。天皇賞の予想をしながら気ままに待ち、ついに佐世保バーガーが目の前に運ばれる。こ、これが噂の………。思ったよりはでかくなかったが思ったよりうまかった。現地で佐世保バーガー食うなんてそんな粋なことができるなんて思っていなかった。そしてゆっくりしている暇もないので北九州は福岡門司港へ向かう。僕らはこの辺で旅はもう終わりだと思っていた。しかしあんな結末が待っているなんて…。とにかく佐賀県の伊万里で家へのお土産を買ったり、途中で昼飯を食ったり、博多駅に寄ったりする以外は(結構寄っている気もするが)どこにも寄らなかった。佐賀はなんもなかった。とりあえず佐賀の印象は何もなかったということだ。福岡はさすがに違う。九州という同じ枠組みに納まっているとは思えない。都会である。それもゴールデンウィークということもあって全九州市民が福岡、博多に集中していた。(全員おったんちゃうか)そしてコンビニには山本キッドがいた。僕よりも強そうだった。(まあ実際やったら五分だと思うが)博多を通り過ぎ小倉もスルー。門司港へ!時間がない。え?時間がない!時間がまじない!乗り遅れたら家まで単車でかえらなあかんやん。無理…絶対無理。急がな、いそがなあかん!「間に合うやろ」ゆってた伊佐氏にも焦りの影で若干顔が黒くなっていた。(それはもとからだが)コンビニの店員に場所を聞きほっとする。危なかったー。しかし聞いた道には進めど港なんかある気配無し。伊佐の顔をちらりとみるといつものポーカーフェイスが少し歪んでいた。後ろの西村氏も「やばいやばい」を連呼。ここからは伊佐氏は全て信号を無視し指示器もつけない。後ろにつづく僕らはその姿をみて焦りがかなり伝わってきた。あと5分…奇跡的に到着。みんな安堵と疲労で話すことすら困難な状態に。「よかった」「ああ」「まじよかった」「ああまじよかった」そして乗船しコンビニで買った弁当、つまみ、ビールで安堵を噛み締めるかのような食事会。話の中心は主に間に合ってまじよかったという話だ。みんなの印象に残ったランキングの一位を総ナメにした。ふーとりあえず後十二時間このフェリーに乗ってさえすればかえれるわけだ。フェリー最高。伊佐氏の疲れは極限に達していたようで一足先に就寝する。僕と西村はビールと供にゆっくり感慨に耽った後部屋に戻り、西村もここで就寝。僕は一人フェリーの風呂に入り(波に揺られながらの風呂もなかなかオツなものでした)次いで眠りにつくのであった。朝からフェリーにあるパチンコで伊佐氏はフィーバーし、そうしている間に八時には大阪ナンコウに到着した。帰りは早かった。最後に僕が43で地図を落とすというハプニング以外は実にスムーズにかえった。大阪から尼崎までの距離なんて今まで走った距離からすれば歯磨きをしに洗面所にいくようなものだ。走行距離数は実に1660キロにも達していた。本土が端から端まで約3千キロ、東京までが約400キロ、名古屋までが200キロ。東京にいって帰ってまたいって帰ってくるくらいの距離である。強烈である。随分急いで書いたわけで大事な部分をうまく書けなかったかもしれないが大体はこのような旅であった。文章に書くのは実に簡単である。しかしこれを実際にやるとなると、そこには驚愕に至るほどヴィヴィッドで過酷なものである。
 

九州奇行記その1

 投稿者:10番  投稿日:2008年 5月12日(月)19時21分25秒
  四月三十日から五月五日までの五泊六日間、僕は伊佐と西村と一緒に九州へいってきた。単車での旅となったわけで西村は僕の後ろに乗ることになった。免許を取ってから一年経っていないのでもちろん二人乗りは禁止だ。スピード違反や何かで捕まってしまうと同時に旅も終了するという最初からリスクをはらんだ旅となったわけである。
ゴールデンウィーク前の「伊佐っち九州いかん?」という軽い感じで九州行きが決まった。なぜに九州かというと僕が個人的に昔から憧れを抱いていた地であり、かつ五日という期間にバッチリ収まる距離であったからだ。しかし実際はそうではなかったわけだが。ともかくわざわざ伊佐氏が京都の伊原邸(西村邸)まで足を運んでくれて作戦会議が始まった。作戦会議といっても伊佐がおごってくれた寿司(競馬でかった)をつまみながらビールを飲むだけという情けない会議ではあったが。「どこいきたいぃ?」「出島ーー」「佐世保バーガー食う」「国原に会いたい」「俺佐世保バーガー絶対食う」「国原に抱かれたい」などさまざまな意見が飛びかったが、結局南端桜島を目指し、気ままに一周を目指すという結論にまとまった。(まとまったか?)そして少しの着替えと少しの荷物とあきらめない勇気だけをリュックにつめて30日の九時に出発した!九時に出発するはずだった。しかし八時五十分くらいに目覚め…二日酔い。前の日に柏原と藤本、小坂などと飲みにいったわけだが、久しぶりの酒と柏原のハイペースに合わせたこともあって2時半まで飲んでしまった。朝は普通にお酒が残っていて単車に跨がれる状態ではなかった。「わるいー10時にしてけろ」というわけで出発前から問題が発生してしまったわけだ。(超個人的なトラブルであるわけだが)10時になってとりあえずは出発した。大体以前広島にいった道とほとんど同じ道を通ってとりあえず倉敷についた。もうくだりが旅の中で一番みんな疲れていたのではないか。伊佐氏は「もう帰りたい」などと呟いていた。倉敷の温泉で疲れはパワリン2本分くらいは取れたはずだが、晩飯の宮本むなしでみんなのテンションは紫色になるまで落ちた。僕の食べた卵丼は味がしなかった。卵丼というと食べて間違いないのが卵丼である。どうすれば卵丼をまずくできるのか。コペルニクス的発想の卵丼は僕の体力をみるみる奪っていった。「もう倉敷で休みたいよ母ちゃん」と思っていたが出発を遅らしたのが当の自分だという罪悪感から頑張って広島を目指した。以前恐怖で全米を震撼させた程の広島バイパスも二回目ということと、トラックが少なかったこと、一人じゃない、わいは一人じゃないんやぁということもあり、軽々クリアできた。天使のコンビニも探すが見当たらず、以前立ち寄ったユウユウ空間を今晩の寝床とすることにした。まさか二度と訪れることはないと思っていたのでカードは捨ててしまっていた。寝る前にちょっとビリヤードをして大部屋を貸し切って寝た。今思えばこの日が一番よくねむれた気がする。次の日の行程も昨日に劣らずハードだ。昨日一日で400キロ近く走ったわけだが二日目以降は前の日の疲労の蓄積も背負う。花粉症、肩凝り、寒い、眠たい、目かゆい、肩痛いなど様々な問題は二日目以降深刻化してくる。早朝に出発し、朝のリズムは良かった。しまなみ海道と呼ばれる広島は尾道と愛媛今治を渡るいくつもの島を跨いだ橋を越えていく。125以上の単車や車なら高速を通って直線に島をわたれるのだが、僕らのミニバイクはそう簡単にはいかない。橋を渡るためにいくつもの島をぐるっと廻らなければならなかった。しかしこれがなかなかおもしろかった。由緒深い因島や向島のモアイ像、そして浪漫飛行…橋を渡る際には10円や50円の小銭を箱に入れて通らなければならない。最後の方は1円だけほおりこんでやった。やっとの思いで(実際長かった)しまなみ海道を越えると今治から八幡浜まで愛媛を横断しなければならなかった。黄色の看板の吉野家以外はほとんど立ち寄らず真っすぐ突っ走った。2時半の大分へ向かうフェリーを逃すと今度は六時半になってしまう。そうなると予定は変わってしまう(予定なんて別にないけど無駄なとこでの足止めは勘弁よ)フェリー出航のちょっと前に着くことができた。2千円かそこらの船賃を払い乗船する。優先座席を「関係あるかいっ!」の一言で独占し、大分上陸までの二時間眠りこける。伊佐氏だけが揺れが怖くて目覚めテレビをつけてクルーに怒られた。大分…念願の九州は七県の中の一つ。ついに上陸。「やっぱ南国あったかいわ」とか後ろに乗っていたやつがほざいていたけれど天気もどんよりしていて肌寒かった。大分といえば別府、由布院などの日本屈指の温泉街である。しかし僕らの上陸した港は(臼なんちゃら港)別府などから南に位置し、九州一周を目指すには遠回りしなければならない。いきたいけどパスである。尚この時点で当初目指そうとしていた痛快な山道やまなみハイウェイを通る阿蘇へのコースは閉ざされていた。実際一日を走れるであろう距離を計算するとそんな無謀な寄り道はできないことが判明した。とりあえず港周辺は本当に何もないので南を目指すことにした。目標地は宮崎県、日向である。大分を走り出すも違和感を抱く。東西南北を駆け巡る33号線…やたら走る救急車……なぜかしらんが精液の香り………やたら偉そうに歩く大分男児………。怪しい。大分の印象は怪しいにつきた。南を快走するも小雨にやられ寒気にやられる。コンビニで軽くからあげ君レッドを食べ、親父のカッパで完全武装する。「アメよ、くるならこい」くらいの勢いで走り出すも大分県佐伯市でダウン。温泉に入り(ここの温泉はよかったにゃん)温泉の前で怪しいおっさんの怪しい自慢話を聞かされ、今夜の寝床ガストへ向かう。だってガストしかないんだもん。店員はやたら客とフレンドリーなケンジ(ちゃうな、なんやったっけ。笑)という名の女店員一人。ライフで例えるなら和田さん、ドラえもんで例えるならジャイ子、タルルート君で例えるならじゃばおみたいなおばはんだった。24時間オープンかと思い眠りこけていたら二時に閉店を告げられる。なんか知らんが同情されてコーヒーをくれる。ナイスけんじ!(やっぱちゃうな。なんやったっけマジで。笑)しかしアイスコーヒーはこの寒さにはこたえる。あの野郎、はかりやがったな。けんじ(?)のやさしさを胸にしまい込み、二時間の睡眠で若干疲れは取れたので南に向かう。夜中二時、寒い。奇跡的に七十パーの降水確立にもかかわらず雨には見回れない。しかし獣道と呼んでも差し支えがなさそうな山道を走っているとき事態は急変する。まず鹿は何頭も目の前を横切る。横で猿だと思える動物が騒いでる(暗くて見えないから余計怖い)。足下では蛙が跳ねる(落ち葉かと思ったら飛び上がるからびっくりこいだよ)。まぁ死にはせんやろ思ってたら西村氏が「北海道と同じくらい九州も熊おるで」と呟く。熊の存在を忘れていたけど、この空気…熊出てもなんもおかしないやん!とりあえずむっちゃ怖くなる。山を越えて一安心する。伊佐氏は音楽を聞いていたので動物達が騒いでいたことに気付いていなかった様だ。あー怖かった。安心したこともあり大きな道に出るとまた眠気が襲ってくる。無理もない、寝てないもん。眠い、と呟くと西村氏が体をひねってくる。痛い痛い、眠い、痛いを繰り返し前に進む。しかしそれを限界となり日向辺りから今朝の寝床を捜し始める。カラオケコロッケ倶楽部がやたら目につく。そして鼻にもつく。「もうここでいーちゃん、いってみよーや」と立ち寄ったのがカラオケヒットパレード。解放感丸出しの店内(てか個室が路上にある。笑)は宮崎県ならではのものである。てゆーか呼び鈴ならしても店員出てこん。店の中で猫はポテチ食ってるし。わけのわからんゲームは路上に広がってるし。まじで見せてあげたいくらい笑える。「絶対こんなとこ宮崎の若者でも集まらんやろ」ゆーた矢先、若者がわけのわからん個室からぞろぞろ出てくる。「集まるんかぁーーーい」そして金も払わずぞろぞろ帰っていく。てか店員おらんもん。前払い制?カラオケで前払い制?意味わからんやん。すべてが意味不明のヒットパレード…この旅全体を通して印象に残ったものコンテスト西村部門で堂々の一位を占める。ちなみに西村氏に聞いたところによると、ガストの店員の名前はケンジではなく、コウジであることが判明した。繰り返しではあるが女性である。少し脱線してしまったけれど
ヒットパレードを後にしてすぐに漫画喫茶ホワイトを見つける。しかもかなり安いようだ。四時の七時間パックにギリギリ間に合うっぽい。しかし会員カードを作っている間に四時を5分過ぎて「5分すぎたんで無理だべ」的なことをいわれる。さっきまで四時やったんやからええやないか、ゆーても「5分すぎだんで」という。七時間パック無理なんはどーでもええけど、顔とイントネーションが腹立った。ここで四時から八時までの四時間パックでたたみ一畳分の囚人部屋の様なところで寝る。この日は布団も薄い毛布一枚だったし、下は固くて冷たい畳だったので寒くて寝た気があまりしなかった。目覚めて余計に疲れた感があった。朝起きてトイレにうんこしにいくと「雑誌を持ち込んで自慰行為はしないで下さい」と貼り紙があった。えらいダイレクトやなぁ宮崎!え?雑誌は持ち込まないで下さいだけで十分やろ。自慰行為はしないで下さいって。えらいダイレクトやなぁしかし。「えらいダイレクトやなぁ」と部屋に戻ると、西村氏も「直接的すぎる」といって笑っていた。大分は怪しかったが宮崎はすべてに解放感のある印象を受けた。店を出て(四時間六五十円だった。やすかった)次は桜島を目指す。まだ宮崎の入り口なので日南海岸を通り桜島に着くまでには日も暮れているはず。だから鹿児島周辺で一泊し、次の朝に桜島へフェリーで向かう予定を立てた。走りだしてコンビニでパンを食いまた走りだす。ここのコンビニでみたカップルを宮崎県庁でもみることになる。奇跡。そしてしばらくすると体に異変が。昨日までも痒くて痒くてたまらなかった眼が緊急な程の痒さになる。「うーうー」と呻き声をあげるも限界。薬屋に立ち寄って目薬を購入。しかしこれがきかない。いつでも目薬をさせるようにと、花粉を少しでも回避するため眼鏡で走行する。しかし痒さは衰えることを知らない。我慢できず百均で花粉避けゴーグルを購入。このゴーグルはのちにスーパーゴーグルと呼ばれるまで効力を発揮。一事はあまりの痒さのため断念を考えたほどの痒さをこのゴーグルが見事シャットアウト。そして最大の危機を乗り越え心躍り進みだす進みだす。宮崎にせっかく立ち寄ったのだからヒデオに会おう、ということで県庁へ向かう。ヒデオがいつも小便をしてると思われるトイレで小便を撒き散らすなど(そんなことしてないよ)県庁で大暴れ。知事は知事室にこもっており見ることはできなかった。なんやねんハゲ。県庁の評価は「ぼろい」ということで意見は満場一致した。そして県庁でもらったチラシに載っていた定食屋を捜す。「宮崎やねんからチキン南蛮食わな」と西村氏がチキン南蛮を破格の値段で提供するという『カフェアンドビストロ・アンジュール』という怪しすぎるほど怪しい店を見つける。今思えば値段の安さと名前の怪しさから、店の潜在構成を見抜くべきであった。この店を捜すだけで三十分程費やし、いざ店内へ。「チキン南蛮みっつ」と頼むが品切れ。いっぱいあるメニューの中の『とりてん』という怪しいメニューしか残っていないらしい。「じゃあそれでいいから出せ」ゆーて待ち始める。待てど暮らせど一向に出てこない。まだかなー、思い始めた頃に卵といでる音が聞こえ始める。もしかしたら今鶏に餌あげとるんちゃうやろな、ってぐらい遅い。そして三人は店の雰囲気に気付き始める。なんか奥にいっぱいおる意味のわからない店員達…意味のよくわからない座席の配置…意味が全くわからない絵や小物の数々…。そしてメニューの表紙をみて気付く。『この店の従業員は障害を持った人が働いてあるため不都合がございましても御了承下さい』………
 

磯谷奇行記

 投稿者:10  投稿日:2007年11月19日(月)15時55分44秒
  目にしているのは都市の姿だ。空を高く飛ぶ朝の鳥の目を通して、その光景を上空から捉えている。広い視野では都市はひとつの巨大な生きものにみえる。あるいはいくつもの生命体がからみあってできた一つの集合体のようにみえる。無数の血管がとらえどころのない身体の末端まで伸び、血を循環させ、休みなく細胞を入れ替えている。新しい情報を送り、古い情報を回収する。新しい消費を送り、古い消費を回収する。新しい矛盾を送り、古い矛盾を回収する。身体のリズムにあわせて、至るところで点滅し、発熱し、うごめいている。細長い陽光が幾千もの線となり消えていく。だが気温は低い。8度程だ。季節はちょうど秋と冬の変わり目。視線はとりわけ特徴もない一角を選び、焦点をあわせる。兵庫県、尼崎市のとあるセブンイレブン。店内に一人の男が入っていく。磯谷だ。真っすぐに雑誌の方へ向かいヤングマガジンを手に取る。しばらくは時間が流れる。彼はずいぶん熱心に本を読んでいる。やがて磯谷の注意はヤングマガジンから離れてあるモノへ集中する。携帯電話の音だ。磯谷は顔をしかめ、その電話を怪訝そうに眺める。それはポルノ雑誌の隙間に行儀よく置かれ、誰かに回収されることを望んでいる。いったい誰がこんなところに携帯電話を置き忘れたんだろう?レジの方に目をやるが、店員の姿は見えない。電話のベルはいつまでも鳴り止まない。しかたなく彼はその小さな銀色の携帯電話を手に取り、通話スイッチを押す。
「もしもし」磯谷は言う。「逃げ切れないよ」と男は出し抜けにいう。
「逃げ切れない。どこまでもね、わたしたちはあんたをつかまえる」
印刷された文字をそのまま読み上げたような平板なしゃべり方だ。感情というものが伝わってこない。相手が何の話をしているのか、当然ながら磯谷には理解できない。
「ちょっと待ってよ。誰なのかわかんないけど、この電話置き忘れてあったよ。俺たまたま拾ったんだよ」磯谷の弁明に男は注意を払わない。
「うまくやったつもりかわからないが顔も割れてる。どこまで逃げても捕まえる」
電話がぷつんと切れた。回線が死ぬ。充電がなくなっている。磯谷は一瞬呆気にとられ手にした携帯電話をそのまま見つめ固まっている。男が口にした「わたしたち」というのがどのような人々なのか、本来その電話を受けるはずの人間がどこの誰なのか、見当もつかないけれど男の声は不条理な呪いのような残響を彼の耳に残していく。手のなかに、蛇を握ったあとのようなぬめぬめした感触がある。
何らかの理由によって、誰かが複数の人間に追われているのだ、と磯谷は想像する。電話をかけてきた男の断定的なしゃべり方からすれば、その誰かはたぶん逃げ切れないだろう。いつかどこかで、思いもかけないときに、後ろから背中を叩かれることになる。そのあとに何があるのか?
いずれにせよこっちには関係のないことだ、と磯谷は自分に言い聞かせる。おそらく都会の裏側で行われている荒々しく、血なまぐさい行為のひとつなのだ。こっちは通りががりの人間に過ぎない。コンビニの棚で鳴り続ける携帯電話を親切心から取っただけだ。誰かが電話を置き忘れて、場所を確かめるために連絡してきたのだろうと思って。
そこで磯谷の頭に何かが沸き上がる。男の声が幾度も彼の頭で反復する。逃げられない、と。脂汗が背中を濡らす。そのまま携帯電話を元のところに戻そうかと思ったが思い直してポケットにしまう。店を出て、初冬の冷たい空気を肺一杯に吸い込み吹き上げる。彼は決心した。バイトにいこう、と。ポケットから携帯電話を取出し、逆パカにし、ごみ箱に捨てる。そしてジャパンへ向けてゆっくりとチャリ機をこき始めたのでした。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2007年 8月22日(水)11時35分51秒
  俺も一日ムリ  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2007年 8月21日(火)10時39分0秒
  9月1日の試合は大学の授業が入っているため行けません。  

(無題)

 投稿者:2  投稿日:2007年 8月19日(日)09時56分53秒
  海はきびしい。釣りなんてするもんじゃない  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2007年 8月11日(土)19時34分16秒
  ぜひコーラを飲みほしていただきたい\(^o^)/  

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